朝聞夕録

2020年は干支(えと)でいうと庚子(コウシ)「かのえね」で、新たな息吹と繁栄の始まりの年とか、
次の波をを作り始める年とか言われています。
それで私自身はよく言われているIoT(アイオーティー)Internet of Things
「モノのインターネット」に近づけるよう態勢作りを始める決意をしました
▼この「モノのインターネット」により、モノの位置(存在場所、預金額など)、
モノの環境(温度、湿気など)、モノの動き(地震、衝撃など)の情報がいち早く
分かるようになるというのです
▼また遠隔地から機器の操作や保守作業まで出来るようになります。自立老人とはいえ、
外出してから、家の鍵をかけたか、ガスを止めたか心配になった時、確かめられるというのは安心です
▼それにしても先ず始めなければならないのは今持っている「ガラ携」を「スマホ」に替えることです。
そして「ライン」に加わり、アメリカに留学している3人の孫達と
インターネットでつながり会話を始めるのです。
7月24日には東京オリンピックも始まります。(川平朝清)


 私は沖縄県立博物館での「台湾展」を観てきました。私は台湾に生まれ19歳まで育った身、
展示物を提供し、少しお手伝いしました
▼台湾が日清戦争勝利の結果日本の植民地となったのは1895年(明治28年)のこと。
明治政府は沖縄を差し置いて台湾開発に多額の予算を投入していきました
▼高等教育制度をとってみても、1899年の台北医専を皮切りに、台中高農、台中高商1919年
、台北高校22年、台北帝大28年と整備されました
▼沖縄からは九州よりも近い台湾へと高等教育を受けるため多くの若者が渡航し、
卒業生たちは戦後沖縄の復興に役立っています
▼記録によると始め台湾に土匪鎮圧のため警察官が派遣され、
次いで沖縄での日本標準語教育の経験を買われて教員たちが渡航しました。
その後台湾で師範学校を卒業し日本人・台湾人の教育にあたった教師は1000人を超えています
▼終戦時台湾には650万人の台湾人と日本人は民間人・軍人軍属合わせておよそ50万人が居ました。
その内沖縄への帰郷を望む県民は疎開民も含めて1万5000人でした。
「台湾展」は11月4日までです。
     (川平朝清)