歴代会長

初代会長  神山政良 (1956-09 ~ 1975-07 : 18年10ヶ月)
2代会長  喜納 浩 (1975-07 ~ 1978-10 : 3年 3ヶ月)
 会長代行 山城文盛 (7ヶ月)
3代会長  新崎盛敏 (1979-05 ~ 1989-11 : 10年 6ヶ月)
 会長代行 山口國男 (8ヶ月)
4代会長  山口國男 (1990-07 ~ 1995-07 : 5年 0ヶ月)
5代会長  竹田定雄 (1995-07 ~ 2001-09 : 6年 2ヶ月)
 会長代行 仲田清祐 (9ヶ月)
6代会長  仲田清祐 (2002-06 ~ 2007-05 : 4年11ヶ月)
7代会長  川平朝清 (2007-05 ~ 2012-03 : 4年11ヶ月)
8代会長  渡久山長輝(2012-04 ~ 2015-04 : 3年 0ヶ月)
9代会長  仲松健雄 (2015-05 ~              )

東京沖縄県人会は昭和31(1956)年に結成されましたが、当時沖縄現地はもとより本土においても沖縄の日本復帰、土地の強制収用反対運動が高まっていました。そのような社会情勢を背景に結成された東京沖縄県人会は、親睦を第一とする他府県の県人会とは設立の理念、目的が大きく異なっていました。
その後、沖縄が復帰するまでの10数年間、東京沖縄県人会は沖縄現地の活動と連携して米政府および日本政府、国会に陳情する運動を繰り返しました。

昭和47(1972)年、沖縄は27年ぶりに日本へ復帰しましたが、膨大な軍事基地がそのまま残ったことで、東京沖縄県人会はその縮小撤去を活動方針の一つに掲げました。
しかし県人会の活動自体は次第に親睦・交流にウェイトが置かれるようになりました。

昭和54(1979)年には念願であった機関紙『東京・沖縄の人』を創刊し、また前年から始まった「沖縄青年バレーボール大会」で交流を深めた若者たちが結集して青年部を立ち上げました。
その後、機関紙は『月刊・おきなわの声』と紙名を変えて発行を続け、平成20(2008)年7月には創刊30周年を祝うイベントを行いました。
青年部も結成以来30年間活動を続け、現在では三線会、エイサー隊の活動を通して沖縄文化を広める役割を立派に果たしています。毎年6月の「沖縄に関する問題等を考える会」、9月にJR中野駅前で盛大に開かれる「アシバ祭」は青年部主催の行事として定着しています。

昭和55(1980)年、東京沖縄県人会は「’80沖縄でーびる・第1回沖縄フェスティバル」を開催し、熱気溢れる「沖縄デー」を実現しました。
その後も同様な芸能公演を続けて会員の親睦・交流を深めました。

昭和61(1986)年は東京沖縄県人会創立30周年に当り、県人会の総力を結集して30周年記念文化祭「したいひゃあ沖縄」を開催し、『30周年記念誌』、『関東地区沖縄県出身者名簿』を刊行しました。

平成8(1996)年は、東京沖縄県人会が関係諸団体とのネットワークを確立する上で記念すべき年となりました。1月に「関東沖縄関係団体協議会」が発足し、7月に「沖縄ファンクラブ」が設立され、10月には第1回「全国沖縄県人会交流会」が開催されたのです。
その後、東京沖縄県人会は関東地区の沖縄芸能団体と協力して芸能公演を開催してきました。平成12(2000)年の「響け!沖縄芸能フェスティバル」から、令和2(2020)年の「東京2020オリンピック・パラリンピック記念沖縄芸能フェスティバル」まで20年間続いています。

平成18(2006)年、東京沖縄県人会は創立50周年を迎えて、記念式典、シンポジウム、祝賀会を開催しました。 また、平成20(2008)年に「50周年記念誌・おきなわの声を伝えて半世紀」を刊行して県人会員、機関紙購読者全員に無料で配布しました。

平成24(2012)年7月、講師に上原勝則・沖縄県東京事務所長、川平朝清・東京沖縄県人会名誉会長を迎えて、沖縄復帰40年記念講演会を開催しました。

平成26(2015)年2月、「おきなわの声」創刊35周年を記念して佐藤優氏を迎えて講演会を開催しました。

平成28(2016)年11月26日に板橋区立文化会館で、創立60周年記念フォーラムと人間国宝を迎えて「沖縄芸能フェスティバル2016」を盛大に開催。

平成30(2018)年7月2日、東京沖縄県人連合会を設立して初代会長に東京沖縄県人会 仲松健雄会長が就任。

平成31(2019)年1月25日、ホテルニューオータニ芙蓉の間において「合同新春のつどい2019」を開催。

令和2(2020)年1月19日、ホテルニューオータニ芙蓉の間において「合同新春のつどい2020」を開催。